|
麦の穂に 烏賊の雫や 市戻り
芭蕉の高弟(蕉門十哲の一人)野坡が享保2年(1717年)東古松町付近で作った句
志太野坡(1662-1740)
元禄15年冬、はじめて久留米にきて筑後に俳諧の種を蒔く。
2回目は享保元年(1716)長崎より諫早を経て海路若津あたりに上陸して久留米に。善導寺・吉井地方を経て「星野金山の宰領」の弟子楚児を訪ねそこで年を越した。
享保2年の新春、山を下り福島町の弟子(若林旦夕)の指導のため福島に来た彼は、この句を作った。
当時、現東古松町あたりは旧福島城下町の中心地で正月前後には市が立ち、近隣の庶民の買い物客で賑わったという。
郷土研究誌「筑後」第2巻第2号「筑後地方に於ける野坡」竹下泣猿著などより
本墓は大阪にあるが田主丸町片ノ瀬虚空蔵さま境内に弟子たちが建てた墓がある。
|